家庭内暴力の現象について
キーワード: 暴力;原因;対策
目 次
第1章はじめに 1
第2章家庭内暴力の現象と特徴について3
2.1 家庭内暴力の現象について3
2.2 家庭内暴力の特徴について3
第3章庭内暴力の原因について 5
3.1子ども自身の問題 5
3.2親の問題 6
第4章家庭内暴力に対する対策 9
4.1小さい時のしつけは、子どもの一生を左右する 9
4.2家庭内暴力に対する社会的な行動 10
第5章おわりに 11
参考文献 13
謝 辞 14
第1章はじめに
日本の経済は非常に発展しているが、経済が発展すると伴に、いろいろな社会問題が起こるのも事実である。その中に、思春期の子供が親に向かって持続的に振舞うかなり激しい暴力は「家庭内暴力」[1]と言う。特に、近年その傾向は益々深刻化になりつつあり、大きな社会問題になっています。心理学者、社会問題学者などに全社会まで注目されている。虽然日本经济在快速发展,但是在日本经济发展的同时也产生了很多社会问题,这也是不争的事实。
家庭は、私たちの生活の中のでもっとも身近で、私たちが仕事や学校から帰ってきた時に、ほっと安らげる場所ではないだろうか。誰にとっても、自分の家は、どこよりも寛げて安心できる場所ではないだろうか。しかし、そんな安らぎの場であるはずの家庭で、どうして暴力のような不幸なことが起こってしまうのか。[2]
このような大きな社会問題になっている家庭内暴力は子供だけに解決できる問題ではない。「家庭内暴力」が発生する時に、親としてどうすべきか、社会側がどういう姿で対応すべきかなど、私たち一人一人が真剣に考えていかなければならない問題のだ。
本論の目的は「家庭内暴力」の原因を分析することで、適当な解決方法を取り上げることである。
第2章家庭内暴力の現象と特徴について
2.1家庭内暴力の現象について
本来「家庭内暴力」と言えば、夫の妻に対する暴力や親の子に対する暴力が普通であり、自然な感じ方なのであろう。それなのに、現在の日本社会では、家庭内暴力といえば、子の親に対する暴力を意味する言葉として定着している。[3]家庭内暴力と一口にいっても、ラジオのボリュームをいっぱいにあげたり、大声を出したり、怒鳴ったり……の言葉による脅かし。或いは、器物や家屋の破壊などや、犬猫·小鳥などに当り散らしたり……そして、家族に対する物理的な攻撃、すなわち暴力を直接に加えるようなケースなど、実に様々である。
極端なケースとして、子供は母親に対して繰り返し暴力を振るい、ついにはロウプで母親の首を絞めては性交を強制し、半年もの間、母親に対する強姦が続けられ、ついには家庭裁判所によって少年院送致決定がなされたと言うようなケースも報告されている。
2.2家庭内暴力の特徴について
平成18年度に行われた検察庁の調査によると、まず、主体としては、中学校の男の子が圧倒的に多い、女子でも中学生が多い。次に類型別を見ると、中学生には家庭内暴力に登校拒否、非行がプラスされているものが半数近くを占め、次いで、家庭内暴力のみの純型が3割という順位である。高校生では、家庭内暴力純粋が全体の約4割を占め、家庭内暴力登校拒否や非行等が伴っているものが全体の3割を占めている。三番目に、暴力の内容に注目してみよう。母親に対する暴力は父親に対するものを圧倒し、60パーセント以上も占めている。
こうして家庭内暴力とは男の子の母親に対する暴力――母子共生関係と言われるえんである。暴力の程度は、殴る、蹴るなどの単純暴行が約6割を占めている。家庭内暴力は家の中の弱者を標的にする。犠牲者はたいてい母親だ。[4]彼らは、母親を殴りながら、「みんなお前が悪いんだあ!」「謝れ!謝れ!」などど叫ぶことがある。こんなダメな自分にしてしまった親を責めているのだ。勿論、だからと言って親を殴るのは理屈に合わないが、彼らの心の叫びとしての親への暴力だ。母親がずっと黙ったままだけあって、子どもが一層暴力を振るってしまうことは日常化、エスカレート[5]してしまい、ついには大きな事件に結びついてしまったりすることがある。
第3章 庭内暴力の原因について
家庭内暴力が生じる要因は、挫折体験や性格傾向など本人側の要因と、父母の養育の仕方や関わり方など家庭面の要因があり、それが複雑に絡み合って生じる。過敏,心配性,自己中心,わがまま,完全主義,几帳面,衝動を抑えられない本人の性格と、父性の欠如と母親の過剰対応、両親の不一致があげられる。
3.1 子ども自身の問題
思春期の子どもは、自分でもコントロール不能の突然の怒り、無力感、正義感、暴力的感覚、などに支配されやすい。時として、自分自身を価値のない者とみなしたり、他人をたいした根拠もなくさげすんだり、きわめて情緒の不安定な心理状態にある。
その一方で、この時期ほど自分自身を認めて欲しいと思っている時期は、おそらく他にないだろう。まだ、自活できる能力はないわけだが、しかし親から離れたい、自分ひとりになりたい、一人前と認めて欲しい、それなのに、実際には何もできない、そう感じているからこその焦り、いらだちが、親兄弟への暴言、攻撃性になるのだ。
例えば、今の子どもは、まるで王子様か王女様のように育てられるが、幼稚園や小学校に入ると、勝手が違って戸惑ってしまう。幼稚園や学校では、みんなが対等であり、自分だけが特別待遇を受けることはない。それで彼らは、幼稚園や学校に行くことが嫌になってしまう。こうして不登園や不登校の傾向を示し始めるのだ。[6]
学校での「いじめ」も、中には悪質で深刻な問題もあるが、ちょっとした「からかい」をさも重大なことのように受け止めるケースが実に多い。それで完全に学校が嫌いになって、母親が保護してくれる家庭にしがみつくのだ。
子どもたちはやがて青年になるが、相変わらず対人関係が希薄で、心の深いところで人とコミュニケーションを取ることができない。
親友と言えば、心の悩みを語り合うことができるキーパーソンとしての関係だと思われるのだが、いまの若者たちは一緒につるんで、表面的に楽しいだけの話をして、悩み事はみんな母親に相談する。何時まで経っても、母親から自立できないのだ。[7]
それは社会人になっても変わらない。会社に入った新人を注意したり諭したりすると、それを叱られたと受け取り、女子社員なら泣き出し、男子社員なら翌日から出社拒否するというケースはもはや珍しくなくなった。人は誰でも、友人が欲しいし、人から愛されたり、尊敬されたいと思います。しかし、そんなわがままな人間では、良い友人関係などできません。みんなが我慢できることでも、自分はできませんそうして、人生が上手くいかなくなり初め、そこになにかきっかけとなるような挫折体験などをすると、家庭内暴力が始まります。苦しい感情を反社会的な暴力という行動に表してしまいます。これを行動化と言う。
それに、自立期において不適応の少年は緊張や不安からいらだって、長期間にわたり、家族等に対して暴力を振るっているんだ。不適応の内容は事例によって様々であるが、比較業的多いのは学とか進学に関する不調である。ほかには、交友関係、恋愛、クラブ活動、就職、病気や怪我などに関する不調があげられる。また、もう一つ重要なのは、急激な環境変化に対する不適応であり、引越し、転校、新入学、父親の単身赴任、親の入院、親との死別、離別、などに際してが一般には多い。いずれも、本人がこうした状況に直面して躓き、適応できず、焦れば焦るほど立ち直れないでいる。[8]
そんな場面にあいって、心理的に親離れしていくのが容易ではなく、親に対する反発、反抗が暴力という形になって親に向けられるのだという。思春期の自立における葛藤が攻撃性や破壊性となって、心理的に距離の近い母親に向かっていくのだそうだ。彼らは親を殴りながら、さらに自分の心を傷つけていく。すると、ますます感情的に不安定になり、家庭内暴力が悪化するという悪循環になる。
3.2親の問題
一般的な家庭内暴力では、過保護、9過干渉は母親、存在感のない父親の家庭で発生する。子ども自身が、小さいころに親からの体罰を受けていたことも少なくない。思春期までは優等生だった子どもが、突然荒れる例もある。
①親の方にはいろいろな問題があるが、その中にもっとも大きなのはやはり親の過保護[9]過干渉である。これは最も多いと言えるが、大抵は両親がともに教育熱心であり、子ともの成績や勉強の仕方はもとより、生活態度、交友関係などに絶えず目を光らせ手をかけすぎている。小さい時は一般に過保護で甘やかされているのだが。子どもが思春期頃になるまでには殊に勉強面で過干渉や過期待となり、子どもを過度に管理締め付けるようになる。、日本には、今日こうした家庭が多いと言えるだろう。
一口に過剰対応と言っても、具体的にはいろいろなものが含まれる。これまでの例に示されたように,たとえば、過保護、過干渉、過期待、逆愛、過厳格などがそうである。もし両親とも極端に過保護であったら、とくに母親は逆愛に近く、やや神経症的傾向も手伝って、子どものこととなると理性的に振舞えない。また父親のほうは非常にやさしく子どもに甘い人で、子どもを叱ることなど幼児から全くと言っていいほどなかった。このために、いつまで経っても未成熟なままで母子分離ができず、とくに耐性欠如が著しかったわけである。友人関係がうまくできないのも多分にこれに由来するであるだろう。[10]
2もう一つ親のタイプは、父性欠如である。これは、父親が物理的無しに心理的父性を発揮していないのが、主として問題で、前者としては、たとえば、単身赴任で長期にわたって家にいないとか、仕事が多忙で帰宅が遅く本人に接する機会がほとんどない。入院している、他のなんらかの理由で別居している。さらに、死別や離別など、物理的に不在なものである。こうした家庭は日本に多く、核家族化が進行している今日、大きな問題と言えよう。また後者としては、父親がいることがいるのだが、心理的に父性が発揮されていないのである。たとえば、子どもに関心がないとか、嫌っている、あるいは穏やかすぎて厳しい態度が取れない、なんでも許容してしまうなのである。要するに、物理的にせよ心理的にせよ、父性が家庭の中に存在せず、そのために、思春期の子に必要な父性との対決という課題が果たせない。父性欠如の家庭では、大抵母親が過剰対応となりやすく、父親が物理的いないとか心理的にしっかりやってくれないとか、それだけ母親が補わざるを得ない。それも真の父性ではなく、ついで、母親が過剰対応となっているのが一般である。子どもは、小さいうちはそれでもなんとかやれるのだが、思春期の難しい時期に差し掛かると、そうした親に批判の目を向け、父親の態度を非難する一方、母親には反発する。家庭内暴力などに父性欠如のタイプが多いのは、そうした事情からである。
3もう一つのタイプは、両親ともの放任である。これは大抵父性欠如に母性欠如が加わったもので、両親ともが父性も母性も子どもに対して発揮しないタイプだと言える。こうした家庭で育つと、子どもは非常に愛情に飢え、情緒が円満に発達しないほか、人が信頼できず、孤独で、道を踏みはずしやすい。また発達の障害をきたすため、躓きにも崩れやすい。放任には、物理的放任、つまり両親が物理的にいないものと、心理的放任、つまりいるにはいるが父性も母性も発揮しないものとがある。第4章 家庭内暴力に対する対策
家庭内暴力の対策は簡単ではない。同じ家庭内暴力と言っても、様々な原因がある。その原因や暴力の進行具合によって、子どもを受容することが重視されたり、逆に毅然とした態度が重視されたりする。
4.1小さい時のしつけは、子どもの一生を左右する
1まず第一、しつけの目的は、子どもの自立
親の最大の役割は、子どもをしつけることだと思う。そのしつけの目的は、将来子どもが自立して一人前に生きていけるようにすることである。このしつけに当たって、父親と母親 にはそれぞれの役割がある。[11]
父親のしつけは、子どもが幼い時は遊びと入り混じっている。小さいときは「たかい、たかい」をしたり、もう少し大きくなればキャッチボールなど運動を伴う遊びを中心にして、ルールを身に付けさせ、感情の発達を促していく。この父親の役割をひと言でい表わすと、社会的な目で子どもを見つめ、導いていくことである。
一方、母親は子どもが2歳までは夫を二の次にして、子どもにかかり切りになってもいいが、子どもが2歳を過ぎたら、母親はもう一度夫と絆を強めて、夫婦で一緒にしつけの方針を考えたり、共同で育児に当たる必要がある。子どもが2歳を過ぎると言葉もある程度話せるようになり、歩けるようになって、自立に向かい始める。もちろん、この自立は本格的なものではなく、そばに保護者が付いていないと、とても危ないものだ。そのうち一人でも放っておける時間が長くなり、行動範囲も広がっていく。そうなったら母親は子どもとやや距離を置き、少し離れたところから子どもを見守るようにすればいい。[12]
この初期のしつけのポイントは、善悪を教えることである。いろいろな機会に、「これは良いこと」「これは悪いこと」といったことを教えるのだが、それには信頼関係が大切だ。これは大きくなっても大事なことで、中学生になったわが子に対して、信頼関係が薄いのに叱り付けてばかりいても反発されるだけだ。
このしつけは、将来、子どもが自立して社会でやっていけることを目指して行うべきで、それを忘れると、親の気分に左右され、その場限りになりかねない。目線を遠くに置き、「あなたが社会に出るまでに覚えておくことはこれこれだ」といった考えに裏打ちされていれば、厳しく叱っても子どもは納得するものだ。
今の時代は、子どもをしつけるということが難しい時代である。巷にはものがあふれており、子どものお小遣いで手に入る物も多い。テレビをつけておけば野放図に情報が流れ込んでくる。だからこそ、親は毅然とした態度で子どもに接し、きちんとしつけをする必要があるのだ。
以上のように、家庭は、子どもにとって人生最初の学校である。いかなる家庭に生まれ、いかなるしつけ、教育を受けたのか、と言う事実が、子どもの人格形成の基礎となることは言うまでもない。
4.2家庭内暴力に対する社会的な行動
しつけとともに、社会的な協力も必要だ。政府は、家庭内暴力を防止する政策をすべての適切な手段によりかつ遅滞なく追求すべきだ。[13]例えば、第一、あらゆる形態の家庭内暴力に関する条約が未批准である場合は、これを批准し、またはこれに加入すること。あらゆる形態の家庭内暴力に対する被害者の保護を促進するために社会行動計画を発展させる可能性を考慮すること、または適当な場合には、非政府間組織、特にこの問題に関心のある非政府間組織によって与えられうる協力を考慮にいれる。第二、利用可能な手段に照らして実行可能な最大の範囲で、必要な場合には、国際協力の枠組みの範囲内で、暴力を受けた被害者に援助、治療、保健および社会的サービス、施設およびプログラム等の特別な援助が受けられるように確保するために活動すること。
第5章 おわりに
「法律は家に入らない」と言う言葉のように、単なる法律で家庭内暴力を解決できない。家庭内で起こった家庭内暴力は家族の皆で解決することはもっと期待できる。そして、「三つ子の魂百までも」というように、小さいときのしつけは子どもの生涯を左右する。さて、それでは「しつけ」とはなにか、と言うことになると、ほとんどの人が漠然と考えているだけで、よくわからない。今の親はそんなことを考えずに子育てをしているようだ。 将来ある少年たちは、自らを受け入れ信頼されることで、はじめて他人を受容し信頼することができ、対人関係能力や牡会適応力を身につけ、一人前の杜会人となって行ける。だから、家庭内暴力を防止するために、親はこどもの小さい時にしつけに重点を置くべきだ。それに、親と子ども自身と社会と共に家庭内暴力の解決に取り込んだからこそ、家庭内暴力を防止できる、更にそれを根本的に解決することは可能となる。
以上、日本の家庭内暴力について論じてみたが、時間と能力の関係で、いろいろの不足点が少なからずあっただろう。特に、家庭内暴力の原因の詳細な説明はできなっかたなどは欠点である。しかし、自分なりの力を尽くして、完成したものなので、一息しているところである。この論文での研究は、ただ狭い範囲にしか留まらなかった。このテーマについて、また色々な違う面からも研究してみたいと思う。例えば、わが国の家庭内暴力の現状、発生した理由と日本の経験を参考にすべき点など。今、わが国における家庭内暴力は日本ほど深刻ではないけれども、その傾向は各地方で少なからず見られるだろう。子どもは強くなればなるほど、その国も強くなれると思う。だから、この論文での研究はわが国が家庭内暴力を防止する面では、多少役に立つと考える。しかし、本論ではそれらの研究までいたらなかったので、今後の課題にしたいと思う。
参考文献
开关变换器的建模与控制[M]. 北京:中国电力出版社,2006,15-88.
曹文思,杨育霞. 基于状态空间平均法的BOOST变换器仿真分析[J].系统仿真学报, 2007,19(6):1329- 1334.
伍言真. DC/DC开关变换器建模分析及其变结构控制方法的研究[D]. 广州:华南理工大学,1998.
Takagi T, Sugeno M. Fuzzy identification of systems and its applications to modeling and control [J]. IEEE Trans on Systems, Man and Cybernetics, 1985, 15(2): 116-132.
Sugeno M, Kang G T. Fuzzy modeling and control of multilayer incinerator [J]. Fuzzy Sets Syst., 1986, 18(2): 329-346.
张勇. HOPE-Ⅰ模拟器的实现[C],第三届中国学术会议论文集[C].北京:北京邮电大学出版社, 2001:449-740.
[1]家庭内暴力とは子供が親に振るう暴力
[2]稻村博 「思春期挫折症候群」 新曜社 1985年1月 第18ページ
[3]川谷大治「思春期と家庭内暴力 治療と援助の指針」金剛出版2002年1月 第53ページ
[4]藤本礼子 「子どものパートナーになるために」 潮文化 2003年1月 第120ページ
[5] エスカレートとは段階を追って拡大、増加、激化すること
[6]瑞子 「子ども白書」草土文化 2001年7月 第39ページ
[7] 「思春期の子どもと向き合うためにの概要」から
[8]渡辺和子 「女性・暴力・人権」 学陽書房 1994年11月 第3ページ
[9]過保護とは自分の子供だからというので必要以上に大事にして育てること
[10] 「甘やかされて育った男と家庭内暴力」から
[11]穂波忠松 「迷える家族」櫂歌書房 1999年1月 第49ページ
[12]张美荣 「家庭内暴力—现代日本的一大社会问题」【日语研究 】 2004年3月 第79ページ
[13]室直樹 「あなたも息子に殺される」 太陽企画出版 2005年5月 第187ページ
[13]家庭内の問題は単なる法律で解決できないこと
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