目次
第一部分
一、 時代背景
二、 作家の紹介
三、 日本の自然主義
四、 『破戒』のあらすじ
第二部分
はじめ
第一章『破戒』における「蓮」の表現
第一節 蓮花寺
第二節 猪子蓮太郎
第二章「蓮」から見た宗教思想
第一節 宗教思想における「蓮」の起源
第二節 小説『破戒』における「蓮」
第三章 宗教思想に隠れた「戒」
第一節「受戒」について
第二節「持戒」について
第三節「破戒」について
終わり
注釈
参考文献
「蓮」をめぐって『破戒』における宗教思想を見る
第一部分
一、時代背景
島崎藤村は教師をするかたわら、『文学界』の北村透谷につよく浸倒したが、「父親の悲劇的な死、長兄の破廉恥な下獄、先輩透谷の突然の自殺、佐藤輔子との実ることのない恋とその死」①などの理由で、もともと不安な心も静まってきた同時に、鋭い目で周りの環境を観察しはじめたし、西欧近代思想が浸透された。浪漫主義から自然主義に転じて、今まで書いた短編小説に基づいて、自然主義の代表作――長編小説『破戒』が完成された。この小説には「新しい人生を開拓する」という意味も含まれている。
『破戒』は実際に起こった事件に基づいて書かれたものである。部落民の大江磯吉が師範学校から駆逐されたことを聞いて実地飯山町へ部落の実態を調査しに行った。『破戒』のなかで、大江磯吉こそ猪子蓮太郎の原型である。「部落民」について「明治四年、太政官の布告によって穢多非人の名称は廃絶され、新たに平民の列に加えられたとはいえ、実際にはただ新平民の呼び名に変わったばかりで、そうした身分と風俗とはやはり牢乎として残存し続けた」②という歴史がある。こういう歴史の側面から見ると、日露戦争の前後がその背景になるだろう。
二、作家の紹介
島崎藤村(1972-1943)は、日本の詩人でもあるし、小説家でもある。1891年、明治学院を卒業した。その間、キリスト教に入信した。1892年、学校の教師をするかたわら『女学雑誌』に寄稿した。1893年、北村透谷の影響で『文学界』に参加して、エッセイなどを発表した。しだいに近代浪漫主義の時代を築いた。
1895年、藤村は教師の職を辞めて上京した。東京で『破戒』を創作して自費で出版した。高く評価されて自然主義の作家としての地位を得た。1936年、日本ペンクラブ会長として、国際ペンクラブ大会に参加した。1943年、自宅で『東方の門』を執筆しているとき、脳溢血で倒れ、逝去した。
三、 日本の自然主義
20世紀初期、日本で自然主義文学が起こった。日本自然主義の作家は見たものを社会の道徳律や伝統的な社会習慣に焦点を当てず、そのまま描写する。さらに、藤村の「自我意識」には社会の道徳律や伝統的な社会習慣に焦点を当てないということもあるし、内心の苦悩も含まれる。そのなかで、島崎藤村の『破戒』が日本の自然主義文学の始まりであるとされる。自然主義文学の最初の作品として、主人公の告白を通して浪漫主義から自然主義に移行する。
四、 『破戒』のあらすじ
主人公「部落民」瀬川丑松は師範学校を卒業してから、飯山町の小学校で教師をしていた。父の忠告「たとへいかなる目を見ようと、決して其とは告白けるな、一旦の憤怒悲哀に是戒を忘れたら、其時こそ社会から捨てられたものと思へ」に従って、誰に対しても「部落民」の身分を言い出さなかった。その身分こそ、丑松はほかの普通人よりもさらに深く努力した。その後、「部落民」でありながら思想が進歩的な先輩猪子蓮太郎が丑松につよく影響を与えた。丑松は蓮太郎に自分の同じく「部落民」の身分を告白してみたが、勇気がなかなかなかった。やっと打ち上げようとしたが、蓮太郎は刺殺された。蓮太郎の死亡のうえに、丑松が部落民であるうわさが流行っているし、心の不安などの原因で、丑松はついに父の忠告を裏切って、部落民の身分を公開した。告白で精神的に救済された丑松は、恋人や友達に別れを告げ、アメリカのテキサスへ行って、新しい生活を送り始めた。
第二部分
「蓮」をめぐって『破戒』における宗教思想を見る
要旨:
『破戒』は日本近代作家島崎藤村の代表作で、自然主義の角度から日本近代社会の多くの現実性問題を描写する。この小説の中で、宗教思想につながっている「蓮」がつけられた言葉は頻繁的にあらわれるため、真剣に考える必要がある。本稿では「蓮」をめぐって、『破戒』における宗教思想を見出そうと試みる。そして、「受戒」、「持戒」、「破戒」の流れから宗教思想に隠れた「戒」を論じようと思う。その中に反映された問題は『破戒』の人物の悲惨的な運命だけではなく、まさに作家島崎藤村の心の世界、さらに全社会の問題であると思う。
キーワード:
蓮 宗教思想 戒め
はじめ
島崎藤村は文学影響力の強い作家として、盛んに学者たちに研究されている。中日両国では島崎藤村についての研究も広く行われている。日本では主に東栄蔵の『<破戒>への評価と部落問題』、世淵友一の『島崎と自然主義――<破戒>を中心に』、平岡敏夫の『<破戒>私論』、佐藤三武朗の『島崎藤村<破戒>に学ぶ――いかに生きる』などである。中国では『破戒』についての研究は主に「部落民」に焦点を当てる。そのなかには文洁若の《岛崎藤村的<破戒>——一部为“贱民”的人权呼吁的小说》、丛惠媛の《从小说<破戒>看日本社会的“歧视”问题》などがある。先行研究からわかるように、『破戒』をめぐる研究は量が多いが、「部落部」や「自然主義」にとどまっているようである。近年、ありがたいのは姚丹は宗教思想の角度から丑松の心の世界と遭遇を分析し、「作者の藤村の『生きる』にたいする思考と渇望が見られる」と「彷徨い、茫然、矛盾、気弱さ、妥協」など新旧思想の衝突期にいる明治時代の人々の共通する特徴の縮図」③と論じられることである。
先行研究からわかるように、宗教思想の角度から分析するのは新しい視点である。また、宗教思想は受け入れられて以来、巨大な思想体系として、もっとも影響力のある思想の一つとなった。文学作品の人物の心理活動と内面世界を解明するように、その作品に潜んでいる思想、特に宗教思想を分析してみるのは意味のある方法であるといっても過言ではないだろう。小説『破戒』においては、主人公の丑松の矛盾心理世界が濃密に描写される。そういう心理活動に導いた源がさまざまであるが、宗教思想の解析手法が妥当な研究理論になると思う。
『破戒』の主人公が悲惨な運命に陥ったのは、その時代の社会的な原因による本稿では先行研究ときっかけに踏まえたうえで、『破戒』に潜んでいる宗教思想を見出そうと思う。見出し方の一つとして、その思想のシンボルを手段としていいではないかと思う。宗教文化が日本へ伝わった後、日本文化と交わって、日本化の道を辿り始まった。特によく破戒物語によく使われる。そのなかで、「蓮」の表現が頻繁的にあらわれて、その思想のシンボルの一つになるとされる。そのために、本稿では、「蓮」をめぐって島崎藤村の『破戒』における宗教思想を見ようと思う。
第一章『破戒』における「蓮」の表現
中日対訳コーパスというプロジェクトで『破戒』に出ている「蓮」の表現を調べてみると、つぎの結果が出てくる。「蓮」という字が258か所で出てくる。そのなかで、「蓮華寺」という地名が74か所で出てくる。「猪子蓮太郎」という人名が11か所で出てくる。そのデータから見ると、「蓮」の表現が重要な位置を占めていると分かってくる。この部分では「蓮花寺」と「猪子蓮太郎」の描写をまとめようと思う。
第一節 蓮花寺
『破戒』という小説は「蓮華寺では下宿を兼ねた」を始まりとして、また、「其日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、平素の勇気を回復す積りで、何処へ行くといふ目的も無しに歩いた。」「寂しい秋晩の空に響いて、また蓮華寺の鐘の音が起つた。それは多くの農夫の為に、一日の疲労を犒ふやうにも、楽しい休息を促すやうにも聞える。」「東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石に土地柄も思はれてをかしかつた。」などの文に「蓮華寺」の場所もよく現われ、「天気の好い日には、斯の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇は雪の上を滑り始めた。」を終わりにする。こうして、「蓮華寺」が小説の中心舞台になる。また、「丑松は大急ぎで下宿へ帰つた。月給を受取つて来て妙に気強いやうな心地にもなつた。昨日は湯にも入らず、煙草も買はず、早く蓮華寺へ、と思ひあせるばかりで、暗い一日を過したのである。」ということから、「蓮華寺」はもともと「こころを癒す場所」に脱されたが、何も変えられない結果が分かった。実際には、日本信州飯山の真宗寺は「蓮華寺」の原型であり、信州の第一仏教聖地として、現在でも『破戒』の碑文が保存されている。「蓮華寺」そのものを除き、蓮華寺の志保にも同じ夢を託した。例えば、『破戒』には以下のことが書かれた――『女といふものは、多く彼様したものだ。』と自分で自分に言つて見た時は、思はず彼の迷信深い蓮華寺の奥様を、それからあのお志保を思出すのであつた。字面どおり、「志保」の名前には志しを守るという寓意があるが、社会も人々の心も何も変えられない。「蓮華寺」も第一仏教聖地になる一方で、「蓮華寺」が建てられた飯山も人々のこころを癒す場所に託されたが、『破戒』の校長先生からも飯山、いや、全社会教育の堕落、政治の腐敗が見られる。その結果、「蓮華寺」も堕落、崩壊の道を辿るようになった。
2. 猪子蓮太郎
仏教の中で、「蓮」が「泥から出ても染めない」という意味を持っている。『破戒』の人物猪子蓮太郎こそそういう人である。猪子蓮太郎は部落民であるが、庶民の苦痛を理解し、その思想が時代を超えて、光が見えてくる。彼はいつも庶民に親しみ、庶民の生活状況をよく観察している。その一方で、蓮太郎は丑松と同じように自分の部落民身分に苦しんでいる。「明治の社会は農村の封建制を残して多くの人民の生活を犠牲にした文明社会であり、社会のもっとも下に置かれた部落民はこういう封建的な社会のなかでいつでも苦しまなければならなかった。」④蓮太郎はこの封建的な社会に置かれた一番下の部落民として、もっと平等、差別なし、自由な世界を望みたいようである。しかし、精神の自由さが簡単に得られないので、悩み続けている。結局、名前に「蓮」の寓意を与えられた猪子蓮太郎はとうとう成功せずに銃殺される。
第二章「蓮」から見た宗教思想
第一節 宗教思想における「蓮」の起源
ハス(Lotus)は長年の生水草本植物として、インドでの栽培は3、4千年の歴史がある。仏教はおよそ紀元前の6世紀~紀元前の5世紀に、古北インドの釈迦牟尼迦から作られた。仏教の中で、「泥から出ても染めない」蓮華は仏教知恵と慈悲のシンボルである。清新な俗っぽくない生物の特徴で、生命の再生を意味する。現世から対岸に渡るという仏教の教義に, 一致する。同時に、仏陀家は哀れみを抱き、衆生の平等を提唱し、ハスがたくさんの蓮子を生んで世を救って人を助けるようである。故に仏教の先祖は仏教を創立する時、すでに普通ではない宗教イメージを与えて、仏陀国の浄土のシンボルにさせた。
仏教の中でハスは「香、純、柔軟、かわいさ」4種類の特性がある。ハスはは宗教の聖花として、仏陀のシンボルとして、インドの仏教の中で広く影響する。
第二節 小説『破戒』における「蓮」
なぜ小説『破戒』に「蓮」に関するものがよく現われるかというと、第一節の書いてあるとおり、「蓮」が宗教思想につながっているからだろう。日本語で「蓮」が「はちす」、「はち」と読まれる。「蓮の花」を指すと、「蓮華」という言葉を使う。その言い方は仏教とともに日本に伝わって、現在でもそのまま使用される。仏教の中で、「泥から出ても染めない」蓮華は仏教知恵と慈悲のシンボルである。たとえば、仏壇の門扉の内側に蓮華の彫刻がある。さらに、仏教に「人が死んだら、極楽世界にゆき、同じ蓮華のところで生まれ変わる」という思想がある。それはまさに「一蓮托生」の語源である。「蓮華」に対して、「泥」は現実社会の暗さを指す。
しかし、風刺したことに、泥から出た「蓮華寺」、すなわち哀れのない所においても、部落民の丑松は依然としてまわりから理解と寛容を得ていないことである。蓮華寺に下宿した丑松にとって、蓮華寺が清浄したところではない。ここで「蓮華寺」に「極楽」と「地獄」を同時に象徴する。
一方で、猪子蓮太郎は部落民として、新しい思想を持っているが、自分の身分にも苦しんでいる。というのは、蓮太郎の潜在意識には、部落民にある程度の偏見を持っていることである。それこそ、「部落民」の問題が一生解決できなく、「一蓮托生」の宿願も成功せずに終わる。自分の身分、運命など、ただ「蓮」という名前で変えられない。この点について、前に述べられた「志保」と同じようである。
第三章 宗教思想に隠れた「戒」
第二章の書いてある通り、島崎藤村は「蓮」を媒介として、宗教思想を全文に潜めている。しかし、宗教思想を通じて、「戒」の変化が全文を貫いている。つまり、「戒」の変化が宗教思想の更に一層の体現である。
『破戒』は最初の「受戒」から「持戒」を経て、最後の「破戒」になる。こういう線に沿って、一歩ずつ進んでくる。この部分では「受戒」、「持戒」、「破戒」から宗教思想に隠れた「戒」を論じようと思う。
第一節「受戒」について
『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅はうと決して其とは自白けるな、一旦の憤怒悲哀に是戒を忘れたら、其時こそ社会から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのである⑤。丑松は父から戒めを受ける。では、この戒めの正体は何であろうか。「世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望、唯一つの方法、それは身の素性を隠すより外に無い」⑥という父の話から、この戒めの正体が「身の素性を隠す」であることがわかる。その「身の素性を隠す」も宗教思想の表現のひとつである。
第二節「持戒」について
丑松は自分の身分を告白するたびに、父の命令はいつも自分の耳に入ってくる。明治時代、父は大家長として、家庭の中で揺るがすことのできない地位にいる。父の命令に反対するわけにはいかない。丑松は、このような時の「厳格を通り越して、残酷なぐらいであった」父を恐れた。つまり、「持戒」の場合、強いて守らなければならないという意味を持っている。そういう丑松にとって、「破戒」は自分の心の道徳規範を破るのではなく、父のこと、さらに社会の圧迫と束縛を破るのである。
第三節「破戒」について
新思想の影響で、最後に丑松は安穏な生活を過ごしながら、精神面のつらさを我慢できず、「戒めを破る」へ一歩踏み出す。しかし、残念なことに、丑松の破戒について、ただ一人の行為に限り、全部の部落民の立場に立つのではない。丑松は謝罪な情緒をこめて自分の身分を公開し、結局一人でアメリカに行き、一人の逃げ、解脱を選択する。
こうして、始まりの「受戒」は利己的、偏見的で、終わりの「破戒」も衆生をはかるためではない。丑松は真の解脱を得られていない。
終わり
本稿では、『破戒』に頻繁的に「蓮」の表現を通じて、その小説における宗教思想を見出してみた。主に「蓮華寺」と「猪子蓮太郎」から論じてみた。表面の「泥から出ても染めない」や「一蓮托生」などはただ理想的であるに過ぎなくて、宗教思想における「受戒」、「持戒」から「破戒」に至っても真の解脱を得られていないということが分かった。それはまさに明治時代の人々の共通点である。丑松は戒めにむかって、彷徨い、苦しみ、「どうかして生きる」の姿を見せる。これも作家島崎藤村の思考、闘争ではないだろうか。というのは、本稿から『破戒』の中に潜んでいる藤村の心の世界がわかることである。
注釈
① 井出孫六、『破戒』と『夜明け前』、『群像日本の作家4 島崎藤村』、小学館、1992年2月、P6
② 平野謙、「破戒」、『島崎藤村』、五月書房、1957年、P30
③ 姚丹、从宗教的角度看岛崎藤村的《破戒》——以“破戒”为中心、《知识经济》、2011年8月、P167
④ 野間宏、「『破戒』について」、『群像日本の作家4 島崎藤村』、小学館、1992年2月、P117
⑤ 島崎藤村、『破戒』、青空文庫、第一章の三
⑥ 島崎藤村、『破戒』、青空文庫、第一章の三
参考文献
1. 井出孫六、『破戒』と『夜明け前』、『群像日本の作家4 島崎藤村』、小学館、1992年2月
2. 野間宏、「『破戒』について」、『群像日本の作家4 島崎藤村』、小学館、1992年2月
3. 島崎藤村、『破戒』、青空文庫
4. 平野謙、「破戒」、『島崎藤村』、五月書房、1957年
5. 吉村善夫、『藤村の精神』、築摩書房、1983年
6. 陈德文 译、岛崎藤村《破戒》、人民文学出版社、2008年
7. 蒋苇苇、从岛崎藤村的《破戒》解读日本的部落民问题、《长春教育学院学报》、2011年9月
8. 姚丹、从宗教的角度看岛崎藤村的《破戒》——以“破戒”为中心、《知识经济》、2011年8月
9. 张倩倩、冲破“戒律”的征程——浅析岛崎藤村的《破戒》、《文学研究》、2013年5月
10. 钟响、《从“破戒”看岛崎藤村的生存意识》、上海外国语大学,2009年5月